去年の振り返りー死に向き合った一年でしたー

ひとりごと

新年あけましておめでとうございます。今年もCalaColoをどうぞよろしくお願いいたします。

・・・って、もう一月も終わりという有様。

もちろん年始早々にひとつくらいは書き上げる気ではおりました。ええ、「気でいた」だけです。

サボり癖があることはまったく否定しませんが、タイトルの通り去年はお客様、身内、直接の知り合いではないけど話だけは聞いていた方、その他にもご存命で遠方に転居された方や施設入所に伴いサービスを終了となった方など、たくさんの方々との別れがありました。
それに伴って自身の死生観を見直すきっかけにもなり、去年一年間のことを考えると軽口でまとめられるものではありませんでした。

書いては消し、書いては消し、実のところ下書きフォルダに未投稿の記事が三つほど溜まってしまっています。

このところになってやっと自分の頭の中で情報が整理整頓されてきたことと、いくらなんでもホームページの更新期間も空きすぎているのでヤバい、という段階に入り重い尻を上げた次第です。

お客様との別れが褌を締め直してくれた

私の中で一番感謝しているお客様とのお話。

そのお客様は癌を患っておられ、訪問ネイルで依頼を頂いた時には既に終末期に入っておりホスピスで療養されていました。
最初にお会いしたときには玄関先まで歩いて出迎えに出ていただき、一時間超の施術時間もしっかりと座ってお話を弾ませながら穏やかな様子でした。

そこから何度か伺う内にだんだんと体調の悪い日が多くなり、発熱や体の痛みが出る時間帯が増え、寝ている時間が増えていきました。

一番最後に訪問をした日、娘さんから「これが最後になると思います」とお聞きしていました。
時間どおりに伺うと来ることを分かっておられたようで、看護師さんに身の回りを綺麗にしてもらってから私を部屋に呼んでくださいました。

ご挨拶しても返事をすることもやっとの様子で、ほぼ寝ている状況での施術でした。
施術が終わるとぱっとお客様は目を覚まし、はっきりとこちらを見て笑いかけながら「次はいつ来てくださるの?」と聞かれ、私はその質問に「娘さんと連絡を取り合って予定調整しますね」と歯切れの悪い返答をし、そして「またお会いしましょう」と手を握ってお別れをしました。

それから一週間後、お客様が旅立たれたと連絡をいただきました。
よく晴れた日の朝のことでした。
娘さんからは「綺麗な母らしく旅立つことができた」と感謝の言葉まで添えていただいて胸がいっぱいになりました。

笑顔が素敵なとても美しい方で芸術方面への造詣が深いことがお話の節々に伺え、娘さんが物心つく頃にはネイルを常にしており、”いつものカラー”で美しくこだわって彩っていたんだそうです。そんな一流のネイルサロンに通われていたであろう方が私の施術を「こんなに綺麗にしてくれることは滅多にない」と褒めてくださったこともとても嬉しかった。

何よりも、病気でネイルサロンに通えなくなってしまい、「その人らしさ」を失いかけていたところに”訪問ネイル”というサービスを細々やっていた私を見つけてくれたこと、そして「その人らしさ」を最期に取り戻すお手伝いができたこと、美しい人が美しいまま、ご家族が持っていた「綺麗なお母さん」のイメージを守り切って旅立つお手伝いができたことで、この仕事をする価値が真に見いだせた気がして、深く、深く、感謝するばかりです。

あの最後の施術をした日、お話は負担になるなと思い、せめてゆったりと過ごしていただきたくてお客様が好きだと言っていた音楽を数曲スマホに入れて施術の間流し続けました。
この曲は今でもスマホから消せずにいて、時折どこかでこの曲が聞こえてくるとお客様と過ごした時間を思い出します。

“孤独死”と対峙して思ったこと

このお話は面白くもなんともない上、ひたすら長くなるだけなので詳細は省きますが、結論から言うと自分の身内が孤独死という形で亡くなりました。
発見時に死後2カ月程度経過していましたが、冬で暖房のついていない場所で倒れていたため近隣の方に大迷惑がかかるような悲惨な状況でなかったことだけが救いです。

生きとし生けるものすべてが亡くなる日も場所も選べないのが「死」というものですが、それを悲しんでくれる人がひとりでもいる以上は少しでも早くその事実を誰かに知ってもらうことがとても重要なのではないかとこの一件で痛感しました。

以下の文章はこの亡くなった身内に対して思っているわけでは決してなく、あくまで自分に立場を置き換えたときに考えたことであることを前置きした意見ですのでご了承ください。

“孤独死の後始末”は端的に言って「迷惑」でしかありません。

仮に天涯孤独の身で、友人縁者がひとりもいないという状態であったとしても、何らかの手段で戸籍を消し人知れず無人島で暮らして社会とのかかわりを一切断っているという稀有なケースでない限り、人が死ねば誰かがその後始末を請け負うことになるのは避けられません。

第一発見者になってしまった人は本当に、本当に大変です。死後1~2日程度であればいざ知らず、夏場や暖房下で数日、冬場でも1か月も経てば遺体は直視できない状態になります。玄関を開けた瞬間本能が拒絶するような強烈な臭いもあります。状態が悪いと近隣にまで臭いが漂ってしまい、異臭で通報された結果遺体を発見、なんてことも珍しくありません。

さらには司法的に”不審死”扱いになるため、発見者は事情聴取のオマケつきです。
警察署まで連行されることはないと思いますが、現場にとどまり小一時間話を聞かれることになるため、発見者となった方は肉体的にも精神的にもかなりのダメージを受けることになるでしょう。

その後亡くなった人の家族や親戚が遺体を引き取り葬儀ということになりますが、直接触れることも顔を見ることもできません。状態にもよりけりですが臭いを防ぐためにももちろん、あらゆる雑菌が増殖している状態なので感染症の原因となることから遺体に接触してはいけないため専用の袋に入れてから納棺します。場合によっては先に火葬を済ませてしまってから葬儀を行うことを勧められます。
そもそも、亡くなった本人からしてみれば、傷んでしまった状態の自分を誰かに見られたいなんて思うわけがなく、自分が臭いを発している状況で誰かに「臭い」と思われることも嫌だと思います。

そうして葬儀を終えて一通りの弔いが済んだら今度は”現場の後始末”が待っていますが、これがまた一般的なお片付けと一線を画します。
亡くなったその現場となった床部分は遺体から染み出した体液で汚染され、そうなると張り替える以外の手段はなく、ひどい状態だと床板や畳のさらに下の基礎部まで侵食していることもあるそうです。
そして部屋に漂う臭いも市販されている消臭剤レベルでは太刀打ちできる代物ではないため、専門業者のいわゆる「特殊清掃」が必要になります。
この特殊清掃を済ませてそこからさらに家財の処分を進めることになります。

また、孤独死が起きた部屋や家は俗にいう「事故物件」扱いになり、持ち家であれば売値が下がり、賃貸物件であれば賠償請求まではされずとも原状回復費用として通常の退去よりかなり高額な費用がかかります。

では、ここまでのことが自分の身にいずれ起こったとしたら。

ここまで書いた以上にも死亡に際しての手続きや相続手続きなどもあると考えたら。

せめて死ぬ時くらいは迷惑を最低限に済ませたいと心から思います。「あのばばあ、死ぬときまで迷惑かけて」と下の世代に言われないように自分の終わりについて考えざるを得ませんでした。

悲しい旅立ちに共感してしまった自分

さまざまな人の旅立ちの見送りを経て「死とはどういうものか」「自分はどう最期を締めくくるか」を深く考えるようになった一年の終わり頃。

同業者である友人(以降A)に仕事という垣根を越えるくらいに近しい関係を築いているお客様がいました。友人とたまに会うと度々そのお客様の話も口端にのぼり、微笑ましく話を聞いたものです。

そしてAのお客様が「自死」というかたちで旅立たれたと、事情を知る共通の友人(以降B)から聞くことになりました。ちょうどそのお客様のお葬式があった日に話を聞き、それから数日後にA・B・私で集まる予定が元々あったため、予定通りにAは来てくれたのですが明らかに”空元気”な状態で、落ち着いたころにお客様の話になると涙をこぼしました。
同席していたBはお客様に会ったこともありよく事情も知っていたため、「Aのせいではない」と精一杯フォローをしていましたが、Aにしてみると”なぜ気づけなかったのか”と強い後悔を滲ませていてました。

なぜお客様が自死という終わり方を選んだのかは明確ではありませんが、状況と環境を知るBは次のよう話していました。

  • 旦那さんのことが大好きで、仲睦まじく暮らしていた。
  • 旦那さんは数年前にご逝去。
  • お子さんはおらず、親戚とも疎遠(もしくはいない)。
  • まとまった資産を持っていたが、最近底をつき始めていた。
  • 残ったものの処分や葬儀などは既に代理人を指名し段取りを済ませていた。

これらのことから勝手な解釈をすると、このお客様は「しがらみも何もかも残さず、旦那さんの元に自分の意思で行くことを選んだ」のではないかと私たちは話し合いました。

どういう目的や理由があったとしても自死という手段が褒められたものではないことは理解しています。
また、ここまで心を寄せて憔悴するAを見ると辛い感情も湧き上がってきます。
それでもこのお客様に共感してしまう自分がいたのも事実です。

私は既婚者で会う人会う人に「仲の良い夫婦」と言ってもらえるくらいには夫と仲がいいと自負しています。そして、事情があり子供がおりません。
夫は年上なので平均寿命どおりに行けばいつか私は夫を見送る立場になるんだろうと思います。
そうして夫を見送った私は、そのまま独りで日常に戻って自分の寿命をまっとうできるだろうかと考えると、自信を持って首を縦に振ることはできません。

あらゆるモノも資産も最小限までにし処分しやすくした上で、ばっちりメイクを仕上げ、お気に入りの服を着て、大事なアクセサリーを身に着けて、「今日は仕上がってる!」という自信を持った万全の状態で夫の元へ向かおうとする未来の自分が間違いなく心の中に住んでいます。

「死生観」をよく考えた日々でした

たくさんの旅立ちに際し、改めて自分の持つ死生観を見つめ直す機会を得た一年でした。

自分がいつか旅立つ日にどうしたいか、どうありたいか、友人や周りの人たちのことも含めてよくよく考え、果てには遺言状を書き残し、自分の葬式の式次第まで考える始末でした。
自分の葬式の折にはすっぴんや薄化粧は嫌だだの、お経ではなくBGMとして大好きなバンドの曲を流すだの、棺の外装は金と黒でヒョウ柄の内張がいいだの、寝顔を見られたくないから棺の蓋は開けるなだのと、たいそう馬鹿なことを言っておりました。

不謹慎だと言われるかもしれませんが至って私は大真面目に言っており、旅立ちの瞬間にこそ完璧に自分らしく、誰もに「あいつらしかった」と笑ってもらいたいのです。

「自分らしく、その人らしく」というテーマは私の中で不変であり、譲れない目標でもあります。
これまでこのテーマに「~らしく生きる」と続いていましたが、今は「~らしく旅立つ」も目標に加わりました。

「その人らしい生き方」はこれまでの活動を継続し、美しくありたい方や日々の楽しみや癒しを求める方へネイルサービスを、意思に基づいた暮らしを送るため、手伝いが必要だからと諦めていた人生の大事な一コマを守るための自費ヘルパーサービスを提供していきたいと思っており、出来る限り皆様には「その人らしく生ききって」ほしいとも願っています。

「その人らしい旅立ち」は私のお客様のようにネイルを通じた”美しい人のまま旅立つ”お手伝いや、人生のエンドロールを迎えている方へ穏やかな時間をお届けすること、終わりを迎える前に会いたい人に会いに行くなど”締めくくり”をお手伝いできるヘルパーを目指して活動の幅が拡がっていけばなと考えています。

生と死は一対で切り離すことができません。
第三者としてお客様に関わっていくからこそ、いつか迎えるその時を恐怖するのではなく、拒絶するのではなく、出来る限り精一杯寄り添ってその人や近しい人が望む姿で旅立っていただけるよう努めてまいります。

こんなCalaColoですが今年もよろしくお願いします

暗い話題ばかりですみませんでした。

もう、本当に暗いですよね。チャッピーには頼らず一から自分の頭と手で打っているので文章も読みづらくて申し訳ないです・・・(AI文章生成断固拒否という難儀な性格をしています)

突然重い話を見せられて困惑した方もいらっしゃるかと思いますが、仕事をする上で大事な気づきだったことと”はしもと”がどんな人間でどんな信条を持って仕事をしているのかを紹介するためには欠かせないベースになった一年間だったので長々とやってしまいました。

基本的には軽口ばかり叩いている陽気寄りの人間ですので、負のオーラをまとった変なヘルパー・ネイリストではありません・・・多分、きっと。

今年も一か月を早々に消費してしまいましたが、残り11か月を明るく、たくさんの出会いを通じて成熟していければなと思います。
どうぞ皆様と新たなご縁をいただき、今後とも引き続きご愛顧と、愉快な時間を共有させていただけますと幸いです。

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